あまりに高価な服
あまりに高価な服
フルオーダーの善し悪しを見分ける最も簡単な場所は、例えばボタンホールです。ボタンホールは極めて地味な場所で、しかも作り方自体は極めて簡単です。手で穴かがりをするだけです。但し、その縫い目は、周囲の布を引っ張らず、柔らかいものでなければなりません。尚かつ均等でなければなりません。不揃いであれば「草履のようなボタンホール」とけなされます。
そもそもフル・オーダーは、どうやって「柔らかく作るか」に技術の目的があります。ただ、柔らかすぎれば耐久性に劣ります。困ったことに、耐久性と柔らかさは矛盾する関係にあります。最も丈夫な作業服は、最も硬い服でもあります。最も柔らかい服は、最も弱い婦人服である訳です。
最近のイタリアン・クラシコから、更に柔らかい服への傾向、私としてはずっと「紳士服の婦人服化」だと思っていました。特に東京では「メトロ・セクシャル」という言葉をしばしば耳にしました。この言葉、実は今ひとつ良く理解できていません。都会的で性的?、多分、何となくではありますけれど、男性版「ユニ・セクシャル」のような言葉である気もします。
もしそうであるのなら、男性的な特徴の強調をメインとした紳士服、特に英国調のフルオーダーは、どうも「物的に硬いから」敬遠されているのではなく、「性的に硬い」ために敬遠されるのではないかと思える様になってきました。例えば、先月12月、ゼニア・ジャパンの新社長就任パーティでお会いしました Leon, Nikita の編集長岸田氏は、かなり「セクシャル」という雰囲気を醸し出していましたが、これがまた何とも格好良い。丁度、NHKのイタリア語講座をしていたジローラモ氏のような雰囲気です。
ただ、テーラーとしてはかなり危険なことを書いているような気がするのですが、これはやはりデザインと着こなしの世界の話です。そして、婦人服化していくというのは、そのまま「使い捨て」で回転の速い世界の話になっていきます。ファッションですから、それもまた悪くありません。
ただ、これが極端になると変な状況が出てきます。某所でウール地、1着40-60万というスーツを見てきました。40-60万と聞いてまず思うのは、「生地は〜だろうな」ということです。価格から生地がある程度は推測されます。「そういう生地」というものが存在します。次に考えたのは「〜のサルトリア」という言葉が付くんだろうなとも見当が付きます。更に思うのは「豪奢品/耐久性に乏しい」です。意外かもしれませんが、高価な服になればなるほど、紳士服では価格の割に耐久性がありません。その豪奢品としての性格から、極めて高価な服の存在価値は、耐久性にはないわけです。
端的には、紳士服が高価な婦人服化、ブランド化しているとしか思えない状況が出ています。そもそも全ての業種がブランド化を目指すのですから、それこそが「成功しつつある」ということなのでしょう。ただ、それでは紳士服の世界は結局のところ「日本の着物」になるだけです。最終的には既製服か超高級かの二者択一になることでしょう。
ここで、偏屈かつ意固地、古い人間である私は、例えばフルオーダーでは、意地でも価格帯を初任給前後で、且つデザインと耐久性のバランスが良い服を中心に据えようと、今年もやっぱり思うのです。この価格帯が、現在の所、最も正直であると思っています。