やせ我慢
冬に夏生地の話は変ですけれど
ポーラー
ある方に、30年前のかなり良いポーラー生地を譲っていただきました。昭和40年位まで、夏生地の定番として三杢ポーラーが使われていました。
三杢とは 3 ply、単糸三束で織られている糸を言います。最近では単糸使いが溢れていますから、双糸というだけで良質な感じがしますけれど、昔は三杢も珍しいものではありませんでした。ポーラとは平織りで目の粗い、さらさらとした夏生地です。
ただ、最近、この生地は夏生地としては全くはやりません。頑丈かつ風合いも良く、見た目も涼しげなのですが、糸の使用量が多いため“若干”重い。通気性も良いのですが、夏場は重い服を羽織るだけでも暑く感じてしまいますから、最近では全く出ません。
勿論、昭和40年以前でもポーラに限らず、今と似た軽い生地素材は存在していました。それでもこの三杢ポーラが定番と呼ばれていたのには理由があります。
暑い暑い暑い
まず一つは、当時の紳士服の価格に基づきます。当時、初任給は1万数千円ほどですが、スーツは3万数千円ほどしていました。今の感覚ですと30万円以上ですね。30万以上するスーツなのですから、5年間はシャレて見え、10年間は維持できなければなかなか納得できません。夏生地はそもそも弱いですけれど、やはりなるべくは保ってほしいものです。
また、シャツと言う肌着は隠すのが基本です。最近、青山などの量販店ではシースルーにも似た、シャツが透けるほど薄い生地を使ったジャケットを販売していますが、今でもこれを「見苦しい」として、嫌悪する人もかなり見えます。透けることを避けるためには、ある程度の厚みとしっかりした織がなければなりません。
これらの条件を満たす生地が三杢ポーラだったわけです。
ただ、暑いです。当時はクーラーの普及期前ですから、何せ暑い。熱を持った体をさます方法は扇子か団扇だけ。それでもこの生地のスーツを身につけます。感覚的には今よりも、ただそれだけで暑いと言えるかもしれません。
ステテコ
そのため、夏場にスーツをつける場合、朝から水なんか飲みません。水を飲めば汗が出ます。汗が出れば服を痛めますし、何より周囲の方に暑苦しい印象を与えます。さらにズボンを汚さないため、その下にステテコを履きました。ステテコはもともと着物の下に履いたもので、膝丈の白い半ズボンのようなものです。…暑いです。とにかく暑いに決まっています。
ただ、服の質の維持と、他人に対して良い印象を与えることへの意識が、暑さの苦痛を消してしまっていたわけです。
合理性の正反対
なんだか最近、合理合理の一点張りのような世の中ですから、このような感覚は時流に全然あいません。こういうやせ我慢、合理性とは無縁です。ただ、元首相の羽田孜氏が省エネスーツとして、半袖のジャケットを合理性の見地から提唱しましたけれども、あまり広まりませんでした。服の世界には、やはり合理性とは異なる何かがあるように思います。
品の良いこと、シャレていること、粋なこと、しばしば言われるこのような良い装いは、「やせ我慢」のようなところがあります。ただ、このやせ我慢、自分のためにするのではないところが、眼目です。他人に不快感を極力与えないようにすること、相手に礼儀を尽くすこと、一度の出会いを大事にすること、そのための努力の跡が伺えれば、そこに粋やシャレが現れるような気がしますね。
不合理な世界も、なかなか悪くありません。