連続する体
身体に障碍のある方の服
以下は専門的な構造の話のようではありますが、少し違います。
当店では、身体に障碍のある方からもオーダーを頂きます。最もお作り頂いておりますのは、背中に大きな瘤があり、体の勾配が右と左で極端に違う方です。テーラーが服を作る時に考えることは、体に合い、シルエットが美しく、身体の特徴を緩和すること、この三つです。どんな体型の方にお会いしてもこれは変わりません。これを実現するため、テーラーは頭を捻ります。
右図は腕を取り払った背中の簡略図だと思ってください。背中の片方に大きな瘤があるということは、そこの部分にボールを入れているのと同じです。その場所に向かって布地全体が引っ張られます。
これを一番安直に解決する方法は、肩のところに刻みを入れるものです。これが最も簡単です。円錐と同じで、確保すべき余裕を刻みで取ります。しかし、こんな所に刻みをいれるのは紳士服の伝統、ルールに反します。ここに刻みは入れたくはありません。
そこで背中の形を別々の形に裁断します。点線部分が標準的な線、実践が余裕量を確保するために、余分に取った線です。この結果、右と左の肩勾配、背中の線が左右対称にはなりません。
特に背縫線(背中中央に走る縫い目)の距離は全くあいません。右と左では長さが違いますから、これをそのまま真っすぐに縫い合わせる事は不可能です。無理矢理つなげば大量のしわが出ます。そこでテーラーや職人は、このずれた形をなんとか真っすぐに修正しようと考えます。
私が考えた方法は、恐らくテーラーや職人であれば、誰もが思いつく方法です。アイロンで縮縫る(いせる)方法を取りました。アイロンでひたすらひたすら、この曲がった線を真っすぐになるように押し込んでいきます。
生地には熱塑性という特徴があり、アイロンをかけると変形し、しばらくその形をとどめます。そうして線を左右のバランスがとれる形に直していきます。一回で不安なときは、数時間おいて、もう一度、アイロンでいせ込みます。
更に、真っすぐにしたとしても、熱塑性で真っすぐにしている訳ですから、しばらくすると元に戻ってきます。それを様子を見ながらテープで補強します。
この方法はあくまで普通の方法です。
標準はどこにもない
上記服の作り方は、以前書きました「体型とシワ」と同じ考え方をしています。ただ、それが、強く強調された体型であるにすぎません。身体に障碍があるにしろないにしろ、服の基本的な作り方が変わることはありません。人間の体は、テーラーから見れば、いわば連続しています。うまく言えませんが、言いかえれば「どんな体型でも人の体型」と言った方が正しいかもしれません。
全ての人は必ず標準から離れています。ただ、その離れ方に程度の差があるだけです。同時に、程度の差であるからこそ、連続していると言えます。
以前、小錦さんが、某縫製工場に依頼を出した事があります。その時の担当者の方は、依頼を受けようか受けまいか、随分と悩んでおりました。「小錦さんほど大きな体型の方の服を奇麗に収めれば、大きな宣伝になる。しかし、失敗すれば、評判を落とす事になる」というものでした。この言葉、納得できません。全ての人間の体は、どんな体型でも連続しているにもかかわらず、「大きすぎる体は標準から断絶したもので作れない」として考えているようにしか思えませんでした。
今の世の中は個性の時代、多様性の時代と言われています。私にはこれが大きな嘘であるようにしか思えません。「標準」に外れていれば服が手に入らず、少し体型がずれるだけで、「できません」、「ありません」、更には「買って頂かなくて結構です」と言わんばかりの応対が返ってきます。しかし標準などというものは存在しません。「標準」は個々のテーラーの頭の中にある、最も作りやすく工夫のいらない体型ということだけを意味します。そもそもテーラーは、最も作りにくい人の服、お相撲取りなどの服を作って練習します。
当店を贔屓にして頂いた障碍をお持ちの方は、某業界の職人さんでした。まじめな職人はどの業界にあっても、最も顧客の希望を叶えようとします。そして興味の対象は、それをいかに洗練された、美しいものにするかだけです。しかし現代では合理化の名の下に首を切られます。
大量量販店では似たような服が延々と並びます。高級プレタポルテですら顧客の体に合わせるという事は考慮の外にあります。服飾業界は年々と、合理化の果てに、ありもしない「標準」を追いかけた結果、そのような光景を作り出したのだと私は思っています。