良いものは…
良いものは…
最近ふと思うのですが、良いものというものは余り人に好まれないのかもしれません。まずお金がかかります、騙されたりすることもありますから、ある程度はちゃんと勉強しなければなりません(古美術の世界が典型的かも)。手入れや保管に気をつけなければなりません。考えようによっては面倒くさいので、見ないことにしてしまった方が楽で良いのかもしれません。
しかし、良いものを誰も欲しがらなくなってしまえば、当然のことながら市場は縮小します。服では着物が端的でしょう。誰も着なくなってしまったため、価格が100万を超えるのがざらになっています。こうなると、「良いもの」はただ一部の大金持ちのものだけになってしまい、私たち庶民の手からどんどん離れていってしまいます。着物は誰もが日本の文化だと疑いません。しかしその文化として服が一部のお金持ちだけのものになってしまっている訳です。家でも同じです。木造家屋の良い家は、もはや普通の所得では手に入りません。建具一つとって、腕の良い職人さん自体がもはやいませんから、そのような建具が必要となる家屋は高嶺の花どころか、霞の向こうになっています。
このような「差」が明らかに出てくれば、不快感が広がります。ですからイミテーション(模造品)が跋扈します。20世紀初期の学者ベンヤミン(アウラ=オーラという言葉を広めた人です)は20世紀以後は複製の時代になると「複製技術時代の芸術」という本で書いています。この本は芸術品の事について書いていますが、日常生活でも同じかもしれません。良いものが手に入らないなら模造品で我慢しておけ、見かけはオンナジダという雰囲気が充満しているような気がします。お金持ちも、そうでない人も「一見は同じような生活」をしていますが、その実態はやはりかけ離れていて、しかもその幅がだんだんと広くなっています。
寂しい感じがしますね。