日本のテーラーはイタリアに劣る?
希代の服飾評論家
紳士服は西欧、特にクラシコ(くれぐれも「古い」という意味ではありません。伝統的な、普遍的な、第一級のという意味です)スタイルはイタリアが第一線級であるのは間違いないでしょう。そして、その一級と言うことにかけて、イタリア人よりもテーラーよりも通暁された方が見えます。それが落合正勝氏です。この方の右に出る服飾評論家はおりません。
最近、落合正勝氏の「男の服装ーお洒落の基本」という本を読ませて頂きました。今までお名前ばかりは知っておりましたが、氏の著作を読んだことがありませんでした。しかし一読、さすがというばかりの適切さ、詳しさです。しかし、たった一点、どうしても納得のいかない点がありました。イタリアのテーラーは日本のテーラーよりも優れいている、なぜならば「仮縫いで体をくまなく触れるから」と言う点についてです。
仮縫いの重要性
完全手縫い縫製において、仮縫いの重要性は言を待ちません。お客様の体のラインを完全に読み取り、卵に柔らかい紙を被せるような、柔らかく、ラインに沿った、「心の何処かに刺さるもののない」服を作るためには、この縫製段階に至る前の仮縫いが最も重要になります。
テーラーは一目見ただけで大まかな体のラインは把握できます。現実の採寸は確認のようなものです。ここでお客様とお話することで好みのデザインなど、出来上がりのイメージを作って行きます。しかしこれはあくまでイメージですから、1mm単位のズレや、意外にシワの出やすい所を見落としています。間違いなくこの段階では見落としているものなのです。これを探し、修正するために仮縫いを行います。裁断した生地を体にあて、チャコ(服地裁断の時に使うチョーク)で印を打ち、ピンで留め、体の線を確かめます。実際の服を作る上での「最終設計図」をお客様のお体を使って確かめる作業という訳です。
これはテーラーにとって、良い服を作るときの命というべきものです。しかも同時に、お客様に緊張されては、台なしになってしまいます。服を着るときに、いつも緊張されている方はあまり見えません。ゆったりとリラックスした体勢を取って頂かねばなりません。
私は、ようやく紳士服を理解し始めた30代の頃、一つの大失敗をしてしまいました。余りに仮縫いに熱中し過ぎて、お客様が貧血を起こされてしまったのです。テーラーと言うものは、できるものなら半日でも一日でもかけて仮縫いしたいものです。そして僅かなシワ、僅かなズレ、バランスを幾らでも修正したいものです。しかし、お客様を貧血させては何にもなりません。そこまで緊張した状態では最初から体の線がずれてしまっています。
私の父もテーラーでしたが、お客様を緊張させないよう色々な雑談を取り混ぜて、リラックスして頂くように努力していました。しかし、ともすれば目が三角になり、顔が怖くなってきます。お客様にとって、これはたまったものじゃありません。私の家に何度も遊びに来ていた同級生が怖がるほどです。これでは体が硬くなり、リラックスした体勢が失われます。
ところで、仕立屋の英名はテーラー(tailor)ですが、別にビスポーク(bespoke)とも言います。これは英語での bespeak (誂える) の過去分詞形です。元々は「話しかける」とという程度の意味だと記憶していますが、注文に限らず、質問等でもどんどん話しかけて頂けるとありがたく思います。
手法の違いと同じ理想
こんな実話が残っています。あるとき、海外から外交官がやって来たのですが、この外交官、急にディナージャケットが入り用になりました。しかし詳しい採寸や仮縫いなどしている暇がありません。この時「外交官を見ただけで」完璧な服を仕立てたテーラーがおりました。このために皇室御用達の栄光に浴することとなります。
これが広く知られるに及び、真面目なテーラーは「これこそ理想の仮縫い」と思ったわけです。体に触らずに済めばお客様を緊張させずに済みます。しかし、やはり見ただけで完全な体形の把握するのは困難です。この兼ね合いが難しい所です。
それに対してイタリアや欧州の方々は、この仮縫い作業で余り緊張されず、逆に楽しまれる方が多いようです。仮縫い作業中、テーラーはお客様の体の凹凸を知るためシツコイほど体中に触れます。これを「ああ、自分の体と語り合っているのだな」と楽しめるイタリア人に感服しますが、日本人には少し縁遠い話です。
日本には確かに感心しないテーラーもおります。イギリスやイタリアで修業してきたという若いテーラーが、それだけで優秀な服を作れるわけがありません。何より経験がモノを言う世界です。しかし、イタリアと日本の差を外観上の「仮縫いの手間」だけに求め、決定的にイタリアのテーラーが優れていると断ずるのは如何なものかと思う次第です。イタリアと日本のテーラーでは手法が少し違います。イタリアでは「とにかく触れること」、日本では「なるべく触れないこと」。しかし目的は最高の服で共通です。
落合氏の活躍のお陰で日本のテーラーは勇気を持てます。益々のご活躍を切に願っています。しかし、それでもここだけは譲れないのです。