バブル期の生地
バブル期の生地
藤井毛織 Cashmere
仕立屋、テーラーを長くしておりますと、時折思いもかけない生地に出くわすことがあります。ほんの数日前にも、かなり珍しい生地に出くわしました。時期的からいって、クリスマス・プレゼントのようなものでした。
10数年ほど前の藤井毛織、最高品質のカシミアです。問い合わせましたところ、現在生産しておらず、もはや在庫もないとのこと、現存する分でお終いです。しかも藤井毛織は民事再生を申請したそうで、何とも残念です。復活を願っています。超高級ウール、ウィントンはどうなるのでしょうか。
さておき、このカシミア生地です。この生地、今では考えられないほど贅沢な生地です。余りに良い生地で、もはや芸術品です。将来を見越して低温倉庫で保管している業者さんも見えるかもしれません。
密度が高く、しっかりした重さがあります。しかも、特に寒冷高地のカシミア山羊毛を使っているため、密度の割に軽いのが特徴です。カシミアは毛の質/量/希少性で価格が決まりますので、これを上回るカシミア生地は、凡そ「無い」と言っても良いでしょう。私はこのカシミア生地が世界最高だと思っています。
この生地はバブル絶頂期に出回ったものです。とにかく贅沢な品物で、当時、当店で正規に仕入れて生地価格が約15.6万円@mです。コート地は2.5mですので、生地価格のみで39万円になります。仕立て上がりで、50万円というところでしょうか。
これは、こと服に関しては物価の安い三重県の価格ですから、デパートや東京であれば幾らになるのか見当もつきません。経験上、最低1.5倍以上はします。
そういう価格ですので、全体の流量はかなり少ないと思います。非常に値打ちに入れることができました。
バブル絶頂期の奇妙な生地
バブル絶頂期には、その前後から考えるとどうにもおかしい奇妙な商品が多く出回りました。
例えば、某生地は原毛1俵60万円で、生地価格は200万円しました。確かに品質も極めて優れており、文句は全くないのですが、問題は生地以外の部分にあります。
高級品であることを強調するため、展示はガラスケースに照明、箱は桐です。仕立ててしまえば生地の箱は全くの役立たずですから、無駄の極みです。この生地は宝石の一種かと思わないでもありません。
Scabalの耳でも裁断生地の結わい紐です
また生地の耳に純金を織り込みます、…いや、確かに生地の品質とは何の関係もありません。生地の耳は、裁断生地をまとめる際の結い紐にしてしまいます。英国高級生地の代名詞、Scabalの耳でも同じ運命です。
そんなこんなで、生地価格が200万円です。確かに品質も良く、その点では文句がないのですが、何というか、こう、「やりすぎだろう」というのが仕立屋一般の評価でした。うまく言えませんが、松茸を一本丸ごとスープに浮かべて「高級料理」と主張しているような雰囲気です。それでも売れたのですから、バブル期というのは非常に気味の悪い時代です。
当時、日本中が高品質、高級品、希少性を求めて奔走していましたので、生地業界も同様だったわけです。
高品質と希少性
上記の生地は極端ですが、バブル期には確かに優れた生地も多く流通していました。非常に良い品質の生地もこのころ多く出回り始めます。以前書きましたが、「服を着せた羊」の生地というのも、この頃から多く出回り始めたと思います。
羊毛は太陽光やゴミ、糞で劣化するのですが、服を着せることによって劣化を防ぎ、カシミアを思わせる柔らかい繊維になります。つまり高品質、非常に良い生地になります。これは真当な工夫で、人気も博しました。今もちゃんと存在しています。
また、希少性に拘った生地もありました。わざわざ極端な寒冷地/高地まで上って、育てるのが困難な場所で羊や山羊を育てたり、一頭から極少量しかとれない原毛のみで織った生地なども登場しました。そういう時代ですので、バブル期というのは「はりぼて」のように中身のない生地もあれば、今では考えられないほど「高品質」の生地も、双方共に存在することになります。
宝探し
上のカシミア生地、これは見事に立派なカシミアです。通常、生地には繊維の方向があり、「滑らかな方向」とそうではない方向があるのですが、この生地は360度「どこから触っても滑らか」です。しかも色は生成り、上品で良い色です。このような生地は、現在まるでお目に掛かることができません。
本当は商品とせず、とって置こうかと思ったのですが、生地は仕立てなければ何の意味もありません。お店にならべておきましたところ、僅か仕入れて2日後に、目の高い方に即決でお譲りすることになりました。
…後悔してません、多分。
バブル期は、僅か10年ほど前のことです。生地を見る経験さえございましたら、この頃の生地は劣化もなく、思いがけず宝探しの気分を味わえると思いますよ。