抜群に良い60~70年代の生地
価格を無視すれば
60〜70年代の英国生地は、価格を考えないのであれば間違いなく抜群に優れています。これは糸の密度の問題というよりも、織機の問題です。しかも当時の織機が優れているというわけでもないため、各生地メーカー、頭を悩ませています。
本来、生地に使う毛はこのように縒れています。縮れた一本の毛を何本も寄り合わせているわけです。そのため、糸と糸の間に空気が入り、柔らかい風合い、手触りが残ります。当然、この縮れが多く残っていれば、良い生地になります。'60〜'70年代の生地では、この縮れが今よりも明らかに多いのです。この「縮れの多寡」は生地の密度とはあまり関係がなく、生地の織る速度に関係しています。速く織ればおるほど縮れは減り、遅く織ればおるほど縮れは残るようになります。
'60〜'70年代当時、英国では木製織機が使われていました。そのため、どうしても生地を織る速度は遅くなります。遅くなりますから、かえって縮れの多く残った良い生地が出来上がっていたわけです。これは意図して遅くしていたというよりも、単に速くできなかったから良い生地だったというのが正しいと思われます。
こと生地の品質に関する限り、速い事は優れていません。
高速自動織機と整理・加工
しかし生地メーカーから見れば、需要の高まりに応じて生産量を増やしたいですし、また大量生産しなければ価格を下げる事もできません。合理化への圧力もあります。そこで、'70年代以後、生地メーカーは一般に高速自動織機を導入するようになります。私の記憶ではズルサーと言われる高速自動織機が一般だったように思われます。
これを使用すると、このように当然残る筈だった毛の縮れがなくなってしまいます。そのため柔らかい風合いや奥行き感は消え、平たい印象の生地になってしまいます。高速で織ると従来の遅さなら実現できていた生地の良さが消えてしまうわけです。しかし高速自動織機で織れば大量生産が可能ですから、生地全体の価格は下がります。板挟みです。
'60〜'70年頃の日本の初任給は、私の経験では概ね1万数千円だった筈ですが、当時の手縫いスーツは最低でも3万数千円、つまり給料2ヶ月分程度だったわけです。今の感覚では最低で40万前後という事になりますね。
そこで高速自動織機による毛の縮れを復活させるために「整理・加工」という技術を使用します。これは専門的な技術で、各生地メーカーが特許として開発しています。例えば前回書きましたダイドー毛織での通常生地は MILLIONTEX ですが、このような特殊な整理・加工技術を使用したものには、MILLIONTEX-Zと商標されています。このZ加工が毛の縮れを再現させるダイドー固有の技術です。
もともと服の生地というのは高価なものだったそうです。そのためかつて西欧では古着の流通が一般的だったそうで、この古着の流通が廃れたのは19世紀〜20世紀にかけて行われた衛生運動の成果とも言われるます。また日本でも着物は未だ古着が流通しています。
現在でも生地価格だけで40〜50万円以上するものがありますが、私自身としては余りお勧めする事が出来ません。御仕立てする事も出来ますが、価格に対して得られる品質のバランスが悪く、またここまで高価格化すると、耐久度が下がるという一見矛盾した結果にもなります。
やはり服においてはバランスが重要であり、そのバランスが、品質の点で劣っていれば誠実ではないと思いますし、高価すぎる点で劣っていれば企業努力の問題があるでしょう。
明らかな品質の低下を来してまで価格を下げるの非常に抵抗があります。しかし、品質を維持するのにあたってあまりに高価となりすぎれば、それはまた抵抗があります。どこに解決点を見つけるかで、その企業やメーカのスタンスが分かるような気がしますね。