基本的な考え方

基本的な考え方

この章は直接には服に関係しません。礼服に関するちょっとした考え方です。

礼儀には色々な細かい規則があります。当然、礼服にも細かい規則があります。しかしこれらの規則をいくら覚えても、それで礼儀正しい人と評価されたり、恥をかかないで済むと言うことはありません。礼儀や礼服というものは、社会的に作られた感情表現の一種です。例えば誰かが亡くなったとき、もし涙を流して慟哭していれば、その人は悲しいのだと他人は解釈します。これは一面では自然な感情の表出ですが、同時に礼儀として泣くという事も考えられます。喪服を身につけることが哀悼の意を表現するという「礼儀」であるならば、泣くという行為も間違いなく哀悼の意を表現しており「礼儀」となり得ます。(韓国では「慟」といい本当に礼儀として泣くと聞いたことがあります)

また礼儀がいかなる形や表現をとるかというのは、その国々の文化や伝統、歴史によって異なります。中国には中国の、イギリスにはイギリスの、文化と伝統に従って礼儀の示し方があるわけです。例えば香典は日本特有のもので、海外では行われない風習です。しかし国際社会で交流していく上では、礼儀の表し方がバラバラではなにぶん不便です。そのために礼儀の標準仕様を考えようと言うことになります。それが「プロトコール(Protocol,Protocole)」です。スーツは洋服ですから、正しい礼服の着こなし方はプロトコールに定まっています。従って「本当に正しい礼服の着方」を知りたい場合は、プロトコールを当たることが正解です。

しかしこのプロトコルの煩雑さと言ったら、信じられないくらい難解で複雑です。私は前回、一般に知られている常識では、「正式」という面では話にならないと書きました。その理由は難解さや複雑さにあるわけです。また、皇室や外交官がプロトコルに従った、正式な儀礼を尽くすのは納得がいくとしても、私たち庶民がこれらに従うのは殆どナンセンスです。

礼服において最も重要な基本、それは思いやりと相手に恥をかかせないこと、この二つです。礼服というのは感情を服装として表す事です。祝い事であれば祝うべき感情、不祝儀であれば哀悼の意、これらが自分ではなく、喪主や他人が理解できる服でなければなりません。自分が「恥をかかないため」ではなく、喪主やホストに「恥をかかせない服」を心がけましょう。

そういえば孔子様も言っています。
「喪はその易めんよりは寧ろ戚め」
お弔いに万事ととのえるよりは、むしろいたみ悲しむ事が礼の根本だ、と。

2002