襟とスタイルと意地

テーラード = 襟

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今回は簡単な更新です。時々、「なぜ流行がどのように変わるのかが分かるのか」という質問を頂きます。実は余り複雑に考えている訳ではなく、単に流れを見ているに過ぎなかったりします。流れに完全な断絶を来すような変化は、滅多におきません。そのような動きは、消費者の方にとっても「突飛, 飛んでけ」な印象だからだと思います。

今更ですが、テーラー,仕立屋にとって襟はとても重要な部分です。何しろ紳士服特有の襟のことをテーラード・カラーというほどで、構造(縫製,裁断)でもデザイン上でも本質的な場所の一つです。服の善し悪しやデザインの変化を見る際、まず真っ先に襟を見ます。

本質部分だけに、基本的なデザイン上の問題に限っても、形状の種類(普通,剣,へちま+その程度)、ノッチの位置や向き、襟巾/長さの程度、ラインの出し方(どういう曲線で襟の線を走らせるか)、返りの程度(緩やかで甘い, キツく辛い)、最低限度これらの組み合わせ考慮が必要になります。かなり多量です。

個々具体的に考えると慣れないうちは大混乱です。大混乱だけに「考えない」という選択肢を取りがちです。しかし、これらは要素ではあるものの本質ではありません。襟デザインの本質部分を極めて乱暴にいえば「意図する長さと重心の位置」です。もっと極端にしてしまえば、"菱形"です。

意図の菱形

以下、乱暴に菱形を襟に見立てて図示してしまいます。菱形の最も広い場所がノッチの場所、巾が襟巾、長さが襟の長さ (Vゾーンの長さ)と思ってください。仮に1を標準とします。なお、この図は全く適当です。デザインを全て言葉にしようというのは凡そ無理な話なので、無理矢理と思って頂ければ幸いです。

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動きの程度:「1←a2→a3」は単純に長さの関係です。ノッチの位置が移動しますが、これは襟の長さとノッチの場所の比を維持すれば自然とそうなります。個人的には「動き」の印象の変化だと考えています。長ければ静的/遅い、短ければ動的/早い印象。

成熟の程度:「1←b2→b3」は長さを維持したまま重心の位置を変えています。これは無理に言葉にかえると、成熟の印象に関係するような気がします。重心が上にあるとは、つまり「胸板が厚い」=肉体的に若い,細い。1→b2→b3と上げれば静的でエレガントなイメージを保ったまま、年齢的に若い印象を出す、逆に下げれば成熟した信頼感と重厚感を出すイメージです。

※d 礼服: タキシードなどに使われるヘチマ襟 (ショールカラー) にはノッチがありませんが、一般に最も太くなる場所が、通常の普通襟に比べるとかなり下に来ます (d)。つまり静的(エレガント)+成熟(信頼感,重厚感) を強調するわけです。

襟自体の強弱: 最後に襟巾。「b3←→c」間では襟巾だけが変わります。襟巾の太さは、視点の集中の度合いです。太くなれば襟が目立ち、細くなれば目立ちません。

襟単体で見ることもありませんし(例えば必ず肩幅との関係を見ます)、理屈で自覚的に行っている訳ではありませんが、乱暴無理に言葉にすれば、こんな感じでしょうか。上のような変化を連続写真のように並べてみます。

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襟巾の変化を省略したので実におおざっぱですが、襟形状の変化の雰囲気が見て取れれば幸いです。実際にこんな風には並ぶことはありませんが、要するに仕立屋は頭の中にある標準との距離を見て「近くなってきた, 遠くなってきた, とても遠くなってきた」と流れを見ています。そして「もうそろそろ遠くなりすぎた」から「戻ってくるだろう」、或は「もっと伸ばせる」と、流れをゴムのように考えるわけです。

頭の中にある基準となる理想型を作る作業、これがいわゆる修行です。頭の中にもっともつまらない普通の服の像を作ることは、技術だけでなくデザイン上の要請でもあります。

意欲の固定 = スタイル

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つまるところ、デザインは意欲の結果です。X123は長さだけが異なります。つまりそれは「もっと活動的に←→もっと落ち着いて」といった大まかな意欲の変化でもあります。この意欲を固定したものがスタイルです。人の意欲の結果がデザインであるのなら、スタイルとは意欲を固定化したものにならざるを得ません。

紳士服の世界では、しばしば楽しみと等しく重視されるもの、ある意味ではそれ以上に「自分のスタイルを固めること」が重視されたりします。これは要するに「自分自身の意欲を固定する」=自分は誰なのか,どんなものなのかを固定するという意味でもあります。この辺りに自覚的であるため、欧州では「紳士服=人格」とする認識があるのかもしれません。

意欲の固定、つまるところ「意地」ですね。意地の世界です。スタイルを探せ! = 自分の意地を探せ!。そして意地の張れない豊かさ、意地の張れない美、そんなものには価値が無いという、ある種の確信のようなものです。

襟一つの流行を考えていた筈が、いつの間にやら話が大きくなってしまいました。楽しみであると同時に、極めて厄介な世界である気がしてきます。そんな厄介な世界ではありますが、どうぞ楽しんで頂けましたら幸いです。

2011.01.31