流行は恐ろしい

古い服が出てきました

同じ大きさでもあるし
違う大きさでもある

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来期に向けて現在試作品を作っています。毎年、春夏に向けては1着は作るのが習慣になっているので、私のクローゼットには春夏物の試作品だけが並んでいて、一歩引いて眺めてみると何やら不思議な光景です。

その中にかなり古いものがありました。我ながら中々悪くありません。悪くないのですが、全くお勧めすることが出来ません。要は「極端に流行遅れ」だからです。

流行と言うと、語弊があるかもしれません。流行の問題のようなそうでないような、今回はそういう話です。「大きさ」についてが中心になり、そのまとめのようなものになります。端的には「人は服それ自体, 大きさそれ自体」を把握できないという話です。

大きさ大問題

デザインには様々な要素が絡み合って渾然一体となっています。そもそもデザインが何を意味するのかもよく分かりません。生地や採寸/縫製手法の各工程, シルエットやディティルに関する決定の一切を含めるとしたら、デザイニングと裁断の何処が違うのかもよく分かりません。そんなややこしいデザインの中で、消費者の方にとって最も目立つのが「大きさ」です。

なまじ誰もが一目で分かるものであるため、「大きさ」について大抵テーラーは頭を抱えます。大きさとの戦いと言っても嘘ではないはずです。大きさ問題にも色々あり、大まかに分けると4つあります。

  1. 「その体に対して」大きい/小さい
  2. 「体に合わず」大きい/小さい
  3. デザインとして大きく/小さく「見える」
  4. その服を実際に着用する現場で大きく/小さく「見える」

これら全てを大きい/小さいと表現せざるを得ないため、どの意味で大きいのか小さいのか、かなりヤヤコシイことになります。

1. 「その体に対して」大きい/小さい

図1. 体に対して大きい
= ゆとり量が多い

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テーラーが「その服は大きい」と言う場合、大抵は1を意味します。テーラーは服を「その体」にあわせて作ります。そのため「体の大きさ+ゆとり量 = 服の大きさ」と把握します。この場合の大きさは「ゆとり量の多寡」です。

ゆとり量の多寡はテーラーにとって、最も本来的な大きさ問題です。少なくとも着用の用途, 場所, 着心地, 伝統的/技術的/美的な理想, 服の種類, 流行などが左右します。つまり「ほとんど全て」に関係するので、今回は割愛です。

2. 「体に合わず」大きい/小さい

次に多いのが2.「体に合わずに大きい/小さい」です。これはゆとり量のことではありません。「袋と中身の形」の問題です。袋は中身の形状にあわせて作ったとき、最も小さくなります。逆に形が異なれば大きな袋にしないと収まりません。

袋と形があっていない状態ですから、ゆとり量はばらばら、意図通りの姿にもなりません。しわが出たり歪んだり, 傾いたりします。この場合の大きい/小さいとは「不自然さの多寡」です。遠山の金さんになりがちな程度でもあります。

図2. 形の合わない袋をかぶせたようなもの
= 窮屈なのに大きすぎる

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3. デザインとして大きく/小さく「見える」

3つ目はデザインなどによって服の大きさが変わって見えることを意味します。人は近くにあるモノの大きさと比較して「大きい/小さい」と感じます。以前にも書きましたが、代表的なものが裾やゴージ位置, 絞り量による工夫です。

例えば図3.左端の2つ、Vゾーンの浅い深いで頭の大きさが違って見えます。浅いほうが大きく見えます。ここで真ん中2つ、頭が大きく見えると、服は小さく見えます。裾は大きく抉られている方が小さく見えます。

図3. 近くにあるものの大小で大きさの印象が変わる

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これほど単純化すると同じ大きさに見えがちですが、実際には細部やシルエットなども工夫して、この傾向を強化しています。これはデザインレベルの話なので、作り手側や慣れた方でないと、1,2の問題とかなり混同されてしまいます。この場合の大きい/小さいとは「見せ方の違い」です。

4. その服を実際に着用する現場で大きく/小さく「見える」

「服を着用した人」を1人として考えると、この世は「服を着用した人」が「服を着用した人」に囲まれている状態です。そのため、3のような見え方(見せ方)の違いは「服と体」の関係を超えて「人と人との間」でも生じます。

普通、人は服の大きさを「大きさそれ自体」で把握できません。テーラー,仕立職には可能ですが、これは服を作る際に必要であるためで、実際に自分が着用したり、デザインを起こす際には「他と比べて大きく/小さく見える」世界に戻ります。むしろそちらが原則です。

図4. 「服を着た人」の周囲に「服を着た人」

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上の黒い丸は全て同じ大きさですが、全部微妙に大きさが異なって見えます。周囲に大きく見える服が増えたり、小さく見える服が増えたり、特定の傾向を強くするデザインが増えると「そうではない服」が非常に誇張されて見えるようになります。

これが多分、服の流行の正体だと思っています。紳士服の流行は婦人服のように強烈なものではないので、「流行に外れているとき」に一番流行を感じることになります。何と言うか「流行」という言葉が悪いのかもしれません。

流行はむしろ空気のようなもので「現にそこにあって無意識に吸っている」類いのもののように思います。雑誌やファッションショーでの提案は「その空気の読み取り/修正の結果」です。つまり空気が先にあるわけです。

「比べて思う感覚」全てで流行が起きるのかも

上記は大きさだけの話です。大きさ以外にも様々な要素で流行が起きるのですが、多分、こういう「何かと比べて〜」という相対的な感想を生じるもの全てで、同じことが起きるのかもしれません。

例えば温度です。何らかのプロは「温度それ自体」を把握することが出来るのかもしれませんが、私は何かと比べて「温かい/冷たい」としか把握できません。そのためか、この「温かい/冷たい」印象について、衣服の世界でも流行があったりします。

同じように「柔らかい/固い, 明るい/暗い」もあります。それぞれ、衣服ではこれらをキーワードにして流行が生じたことがあります。人間様というものは、世の中がどれほど科学的になったとしても、案外「アナログ/程度/相対」で世の中を把握しているのかもしれないと、少し思ってしまいました。

ということで、非常にタイトな服を試作したくなりました。長々と上記書いたのは言い訳です。とにかく小さい服が作りたかったのです。ジャケットウェスト95cmになってしまったのに仕立て上がり寸でも95cmです!。完成しましたら、サイト上でもご紹介したいと思います。東京の展示会にもお持ちする予定です。

2010.01.31