紳士服にはもともと襟が無かった

紳士服の原型は軍服

今までディティールとしての襟がどのように見栄えに反映するかを書いてきました。もうそろそろ、襟から離れようと思いましたので、今回はそもそも襟がどのようにして生まれたのかについてです。普通、紳士服と言えば襟があるのが当然で、襟のない服など考えられません。しかし、これは後から出来たものです。

この写真、写りも作りも悪いですが、既製品のソフトジャケットの襟を立てて開いたものです。上の写真、これはどこかで見た事のあるジャケットデザインではないでしょうか。今では学生服もブレザーのものが多くなっていますが、ある程度の年齢の方々は身につけた記憶があると思います。そうです、詰襟の学生服ですね。

詰襟の学生服というのは陸軍服に由来しています。服飾用語ではこのような襟の事をスタンド・カラー(立ち襟)といいます。この軍服由来の詰襟が紳士服の原型となっています。

日本では女子学生の制服の代名詞のように扱われているセーラー服も、字のごとく sailor つまり海兵服が由来であるのも良く知られた話です。男子が陸軍服、女子が海軍服という事になりますね。

実際のジャケットは詰襟とは異なりますから、襟を全部立てて開いてみても、詰襟の様にはなりませんが、それに近い形状がお分かりいただけると思います。

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ちなみに、赤く丸を降った所は、詰襟の第一ボタンに相当します。ラペル(下襟)にボタンホールがあるのは不思議に思われませんでした?。これは詰襟の第一ボタンの名残だったわけです。

ただこれは無意味な装飾という訳でもなく、シャレた欧州の方はここに花をさす事が良くあります。この服にはありませんが、花を止めるための「小さな輪」がラペルの裏に作られている場合もあります。そういえば、レイモンド・チャンドラーの小説に「さらば愛しき女(Farewell My Lovely)」というフィリップ・マーロウものがありますが、その登場人物の一人、マリオはここに矢車菊を挿していました。

なぜ襟を開いたのか

端的にいえば暑いからですね。見栄えの問題というよりも、実際上の問題でした。あの詰襟を着た方には理解いただけると思いますが、詰襟の学生服は、夏場、非常に暑くありませんでした?。のど元まで襟に覆われていますから、暑くてかないません。すると、この詰襟を開きたくなります。

開くと、見慣れた、あのラペルの形になります。もっとも、いつ誰が、詰襟を開き始めたかについては定かではありません。軍人という話も聞きますし、郵便配達人であると聞く事もあります。私としてはイタリア映画イル・ポスティーノに出てきた、地中海と青い空の中を、自転車こぎこぎ配達する風景が非常に気に入っていますので、郵便配達夫に一票を入れたいですね。

ともあれ、襟を開けば先述の図のように、そのまま刻み(ノッチ、notch)が入る様になります。これがいわゆるノッチラペルです。普通襟ともいいます。

ところでタキシードの襟には拝絹(はいけん)がつきます。英語では silk facing と言い、襟の表面を絹で覆います。なぜ襟に絹を張るかと言えば、タキシードといえども元々は軍服ですから、その襟を折り曲げたときに裏地が見えます。今でこそ裏地は合成繊維が使われたりもしますが、昔は絹が一般的でした。ですから襟は絹で覆われているのが正しい、という訳です。

ただこの説の真偽は少し疑わしいと個人的には思っています。襟の裏側に当たる部分には、通常、見返しというものが付いていて、そのまま折り返しただけでは裏地は見えない様に思えます。個人的には、見栄えと伝統保持のアピールの様なものじゃないかと思っています。

ところで、襟を開かず、詰襟のままでデザインを洗練させたものが、いわゆるマオ・カラーです。昔の中国の人民服、北朝鮮の人民服が今でもそうですね。マオ・カラーとは中国の毛沢東(中国語読みで Mao Ze-dong、マオツートン)から来ています。

2003.4