おじさんスーツ

ある紳士服専門店で

先日、所用で某紳士服専門店に行くことがありました。買い物ではありませんので、邪魔にならないよう商品を眺めていました。そこに男性の二人連れ、恐らく親子です。入学式か入社式に際してスーツを誂えるようでした(そのお店はイージ・オーダーも扱っていました)。聞こうと思わなくても会話が耳に入って来てしまいます。

「マシなスーツの一着くらい持っておくべきだ」
「お父さんみたいなスーツだったら要らないよ」
 何となく胸に来る言葉です、これは。

「どうしてだ」
「オッサンスーツだから」
 …お店の方、お父様に同情を禁じ得ません。面と向かって言われたら、私もきっと枕を濡らして、じっと手を見る…何てことは全くありませんが、「失敗した」と落ち込むこと必定です。

何が美しいのか、この大問題は相変わらず手に負いかねますが、無為にも40年以上携わっておりますと「何が受け入れられないか」は何となく体に染み付いてくるものがあります。ということで、今回は「おじさんスーツ」につきまして。

おじさんスーツの要件

要件1 - 適切な大きさより少し大きい、あるいは絞りが甘い

服のサイズには、それ自体に印象がくっついています。「おじさんスーツ」の要件として、その服の大きさがあります。丁度、サイズの異なる洋服を着たお二人の画像がありましたので、引用してしまいます。写真は報道ステーションから。

現在の感覚でしたら、左の服がおじさんスーツと呼ばれる可能性は低く、右で高くなります。しかしバブル絶頂期前後でしたら、また異なった評価になります。左の服は子供っぽい、あるいは婦人服のようだと呼ばれることが多く、現在程度の細身は滅多にご注文もありませんでした。

小さいサイジングにそれ自体に「若々しさ/女性的」という印象がくっ付いています。体に張り付くような小ささや、極端に丈が短いという特徴は、本来的には子供服や婦人服のコードです。同じサイジングからは基本的に同じ印象が生まれるはずですが、それに対する評価は時代によって変化するというわけです。

現在では、「若々しいこと/女性的であること」に強い肯定的な評価がありますので、ラインを強調しない、女性的ではない服 = おじさん服という傾向が強くなる…んじゃないかと、そう思ったりします。

服の大きさは、シルエットとも関係が深くなります。腰囲と胴囲の差寸が大きいほど女性的で若々しく、差寸が少なければ男性的になっていきます。

普通、同一サイズであれば、差寸が小さいときに大きい服といった印象が強くなります。腰囲、胴囲と肩幅の差寸で、大抵の服のデザインは出来ています。

余談ですが、バブル絶頂期の服は現在より明らかに大きいものが主流でした。これはバブル期に「オトナな」消費が溢れていたからかもしれません。若い方でもオトナな消費の場に参加する機会が飛躍的に増え、そのような雰囲気の中で「若い」印象は「未熟」な印象に繋がります。現在では、メトロ・セクシュアル性向などもあり、若い/女性的なことに強い肯定的評価があるんじゃないかと、ぼんやり思っています。

ということで、おじさんスーツの要件1は「適切な大きさから何cmか大きい」ということになります。

要件2 - 低いゴージ位置、深いVゾーン、ローウェスト

深いVゾーンは胴を大きく見せます。また、腰の絞り位置が低い場合、腰から上が大きく見ますし、更に肩幅も広く見えます。その結果、胴が大きく見える=大きい服という印象が強くなります。

また、深いVゾーン、深いゴージ位置、ローウェストは全て重心を下に持っていくデザイン構成です。若い方は胴が短く足が長い方が多いです。そのため、重心を徹底的に下にもっていけば、足との関係でも胴が大きく見え、「大きい服」という印象も強くなります。

要件3 - 高明度・低彩度の寒色で無地

基本的に暖色(赤•橙•黄)を膨張色と言い、他の色に比べて膨らんで見えます。そのため「大きく」見えます。他方、寒色(青系統)を収縮色と言い、小さく見えます。暖色無地のビジネス・スーツは滅多にありませんので、寒色がスーツの中心になります。

この時、寒色であっても高明度・低彩度では膨張して見えます。明るい寒色は、暗い寒色に比べて大きく見えることになります。また、無地の場合、柄生地よりも膨張して見えやすくなります。スーツに多い縦ストライプですが、この方が小さく見えます。

結果、少し明るい青の無地生地が、最もスーツとしては膨張して見える生地色柄ということになります。ジャケットとパンツでは、ジャケットの方が面積が大きいので、胴が大きく見えることになりますね。

まとめ

組み合わせ

以上から、「少し大きめで、低い腰位置、低いゴージ位置、深いVゾーン、甘い絞りでドレープが不足、高明度・低彩度の寒色無地のスーツ」が多分、今、最もおじさんなスーツと言えることになるかもしれません。

現在、既製服でこのような服は買おうにも買えません。現実問題としては、十数年前に買った既製スーツを今も来ている場合や、「腰の絞りが甘く、サイズが大きめで、明るい寒色無地、ドレープの効いていない(直線的)スタイルのスーツ」がおじさん服候補です。

組み合わせ図は今までの組み合わせです。異なっているのは「腰の絞り,Vゾーン,色」だけで、腰囲/肩巾/裾巾は全て同じです。かなり異なった印象がないでしょうか。更にここにディティールやゴージ位置、更に腕が付いてシャツやネクタイが加わります。「そのつもり」でディティールを加えていけば、更に印象は大幅に変わるというわけです。

全てをひっくり返す最大の要件 - 意思がない

実は上記、理屈上は正しくても、実際のところは嘘です。最大のおじさん服の要件は、その服に「意思」がないことです。

服はとても個人的なものです。そのため、その人の考え方や生活感が全て剥き出しに表に出てしまいます。「その服を何らかの基準に併せて意識的に着ている」のなら、その服について「おじさん的」と呼ばれることはまずありません。

例えば、前述の服であるにせよ、適切に着て、そのスタイルに合うディティールを揃え、無意識にも引き立てる小物類や身の回りの品を取り揃えていれば、それはそれで一つの立派なスタイルです。そのスタイルは周りの人全てに認識できます。決して誰も「おじさん的」とは言いません。

何らかの意思で、テーマを統一させること。それが何より一番です。揃っていないこと、何処かに違和感があったり、意思と服が合っていなかったり、場所と服が合っていなかったり、そんなこんなで「おじさん服」が出来上がります。勿論、一部の隙もなく揃えれば、それは却って野暮なものですが、「揃えているから崩す」ということも出来るもので、揃っていなければ崩そうにも崩せません。

言葉にするととても大袈裟で偉そうです。気恥ずかしいのですが、実際はとても簡単です。どんな買い物であっても、ワードローブの中の「具体的な一着」をちょっとだけ想像すれば大丈夫です。そうすると、お店の人も提案しやすくなり、失敗も少なくなります。

そんなこんなで、心に突き刺さる「おじさんスーツ」についてでした。

2007.06.10