シャツの下のシャツ

ワイシャツの長い部分

シャツはサイズ通りに買ったとしても、明らかに体よりも大きなものが多いです。何が大きいと言いますと、丈です。丈が極めて長いです。シャツをサイズぴったりに買うと、丁度、お尻を覆うまでの長さまであります。また前の方も、股の間を覆う程の長さをしています。不思議に思われたことはございませんでしょうか。

これ、実は下着の「パンツ」です。20世紀まで、欧州では男性の下半身に下着(ズボン下)をつける習慣がありませんでした。これは今でもイギリスなどでは顕著で、アメリカ人でも、パンツをはかなかったりします。しかし、それではさすがに下半身が涼しいので(多分)、シャツの前と後ろで下半身を覆います。

普通のシャツ裾にボタン付きのシャツ

ところで以前、図のようにボタンで前後ろを閉じてしまうタイプのシャツを手に入れたことがあります。このように止めてしまうものが一般的だったかどうかは分かりませんが、ちょうど横の切れ目から足が出ますよね。いかにも下着っぽいです。こんな面白そうなもの、着ない理由はありません。サイズもぴったりでした。

あるとき、このシャツを着たまま、電球か何かを変えようと脚立に上ったわけです。なんだか一瞬、イヤな予感はしたのですが、そこは未経験者の浅はかさ、気にせず電球を取り替えます。無事に取り替え終わり、脚立から飛び降ります。飛び降りてしまったわけです。不幸なことに「シャツは体にジャストフィット」でした。しかも、古いシャツはボタン付けも頑丈、ちっとやそっとでは取れたりしません。生地も丈夫で「伸びません」。なのに飛び降りてしまい、そこから伸び上がってしまいました。

・・・なんというか、こう、目からチーンと火花が出ました。

尾籠な話はさておき、シャツが長いのはこういう理由です。

ブリーフなどの登場

1930年頃、このようなパンツ兼用のシャツ(確か combination と言ったと思います)に痛い目に遭わされたり、頼りない思いをしていた男性に画期的商品が登場、福音が訪れます。それが ブリーフ(brief) です。brief は簡便と言う意味ですが、確かに簡便です。それと同時期にボクサーショーツ、いわゆるトランクスも登場します。

ただトランクスについては、異論もあったりします。フビライハンは元寇を行った人ですが、その後、モンゴル人(タタール人)は帝国を作り、東ヨーロッパ周辺まで遠征します。当時タタール人は、皮のトランクスのようなパンツを馬上で履いていたらしいのですが、これを真似た可能性があるという話を聞いたことがあります。もっとも真偽の程はわかりません。

19世紀以前

今度は逆に19世紀以前までさかのぼってみます。ワイシャツはもともとシュミーズ(chemise)でした。シュミーズといえば女性の下着のようですが、もともとは男女共用の下着をさし、フランスでは現在でも男性用ワイシャツを指しています。語源はラテン語の camisia。例のシャツ袖、manica camisia の camisia です。ラテン語で camisia は「麻のシャツ」という意味です。

シュミーズは完全に下着です。下着ですから見せないのが本当です。ところが16世紀から17世紀に、これを見せようという話になってきます。わざわざ服に切れ目を入れて、シュミーズを見せます。そこで「光沢ある白麻」が重宝され始めます。だんだんワイシャツに近くなってきます。

・・・若い女性が「見せるための下着」というのを持っていたりしますよね。これについて「見せるための下着なんて」という言葉も良く聞きます。でも、下着であるシュミーズを見せようと言う動きがなければ、今のワイシャツは生まれなかったわけです。

中世を舞台にした映画を見ると、貴族の男性が、襞や刺繍、フリル、レースの入ったシャツを着ていますね。あれが見せるようになったシュミーズです。これが現在のワイシャツの大元で、シュミーズが今の形態、いわゆるワイシャツになったのは19世紀に入ってからです。

シュミーズは膝丈でぐるりを覆い、かつこれが下着なのですから、ワイシャツがその名残で前後が長いのも当然というものです。

19世紀になって今のスタイル

19世紀に入ると、シャツとともに、フロックコート、長ズボン、ベスト、 ネクタイという服装様式が固まり始めます。背広といえば英国サヴィルローですが、このサヴィルローは1840年頃からに紳士服の街となり始めます。今のスタイルは、実はそんなに歴史のあるものじゃありません。せいぜい150〜60年程の歴史しかありません。

ただ同時に、150〜60年間、基本的なスタイルが変わらず、しかし世界中で流通し続けるもの、私は紳士服以外に思いつきません。紳士服だけが、なぜ文化として150〜60年も、基本的な姿を変えずに残ることを許されたのか、考えてみれば不思議です。

伝統というものは、誰かが維持しようと思って維持できるものではなく、同時に捨てようと思っても捨てられないものに基づいているような気がしてきます。

伝統とシャツの下のシャツ

結局、伝統とは、一人一人が何を伝統として守り、何を新しいものとして採用するかという話につきると思います。私自身、シャツはもともと下着で、ヴェストは下着を隠して活動的にするものと考えています。ですから、ジャケットの下に隠しっぱなしのヴェストは今イチだと思っています。そのクセ、シャツは元々下着ですから、その下に、更に下着を着込むのはおかしな話です。でも、やっぱり恥ずかしくて着てしまいます。

技術的なところではピックステッチも、伝統と言う意味ではどうなのでしょう、奇妙のような気がします。ウールは直ぐに膨れ上がってしまう生地です。これを固定するために縫目を入れるのですが、本来、これは「見えないように入れる」もので、日本では星飾りと言います。いかに目立たせないかが星飾りの眼目として技術の研鑽があるわけですが、最近、これを目立たせるピックステッチが流行ですし、もう定着しています。

縫製技術でも、かつては何が正統かで大論争があったりしました。派閥もあったものです。

ただ、最近、何が正統であり何が正統でないのかは、結局「個々人の美意識」次第のように思えます。正統や伝統への意識を蔑ろにせず、かつ正統や伝統という言葉に惑わされず、是非「一人一人の信じる正統」を求めて下さい。新しい試みも伝統を守るも「その正統なスタイル」が、100年後には紳士服の文化の一部を形作っているかもしれません。

そう考えると、とても楽しい気がしますね。

2004.9.10